CAPS患者・家族の会

CAPS闘病記

この病気と闘う家族や本人の闘病記を掲載しております。非常にデリケートな情報であるため、一部仮名とさせていただいております。
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高IgD症候群:HIDS(メバロン酸キナーゼ欠損症)連也くんの場合:

2010年に開催されたCAPS患者・家族の会定例会に高IgD症候群(HIDS)という病気の連也くんとご家族が初めて参加されました。 病気による日々の痛みと闘いながらも笑顔が素敵な男の子です。 不自由な手を使いパソコンや色鉛筆などでイラストを描いたり切り絵をしたり、本当に素敵な作品ばかりで周りの人を和ませ笑顔にする才能があります。

高IgD症候群(HIDS)はCAPSと同じ自己炎症性の周期性発熱症候群です。症状もとても良く似ています。現在連也くんの病気「高IgD症候群(HIDS)」には明確な治療法が無く、日本で使えるお薬がありません。イラリスをはじめ効果のあると言われるお薬はあるものの、日本では診断名が違う為に使う事ができません。
現在、連也君は今アナキンラというお薬を毎日注射していますが、日本で承認されているお薬ではありません。毎日の注射の負担や、経済的な問題もあります。 日々の激しい炎症は連也くんに大きな負担をかけ痛みを増加させ、症状を進行させています。

高IgD症候群(HIDS)とCAPS、病名は違いますが同じ希少疾患として手と手を取り助け合い、一日も早くお薬が使えるよう、医療費の助成、病気の研究を求め続けています。

連也君デザインのエコバッグ
連也君デザインのエコバッグ

連也君との出会い、作品のブログを「ムコネットTwinkle Days~稀少難病と向き合う患者家族と理解者たちの輪番日記~」ブログでご紹介しています。是非ご覧ください。

※ 高IgD症候群:HIDSについてくわしくは >> こちらから

● ムコネットTwinkle Days
  ~稀少難病と向き合う患者家族と理解者たちの輪番日記~

Aちゃんの場合:

私はCINCA症候群の5歳の娘を持つ母親です。

娘は1歳になると同時に、高熱と体中に酷い発疹ができ、あまりの炎症数値の高さに、そのまま入院となりました。 それから5ヶ月入院し、検査漬けの毎日でしたが、病名が不明のままでした。
その間、脾臓がパンパンに腫れたり、蕁麻疹で顔が変形したり、血小板の減少・貧血・肝機能障害で輸血をしたりしました。
グッタリと動く事もできず、食べる事はもちろん、水さえ受けつけなくなり、点滴と鼻からのチューブで栄養を取っているような状態が続きました。

その後、何とか体調も落ち着いたので退院しましたが、炎症数値は高いままで、いつもグッタリしており、そのうちに膝も腫れ上がり常に痛みを訴えるようになりました。
初めての入院から1年経った頃、ようやくCINCA症候群との診断を受けるに至りました。

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そして、ようやくアナキンラ投与の治療が始まったのが2歳8カ月の時です。 そうすると、嘘のように娘が元気に生き生きとした表情を見せるようになり、つかまり立ちさえ出来なかった娘が、投与から1カ月後にはよちよちと歩いていました。その時の感動は忘れる事ができません。

ただこの薬は日本はもちろん、世界のどこの国でもCAPS(CINCA症候群/Muckle-Wells症候群/家族性寒冷蕁麻疹)に対して認可されていません。
使いたくても使えない患者さんがいらっしゃいます。 この病気は、治療をしないと日々の痛み・苦しみはもちろん、難聴や弱視・歩行困難などの障害を抱えます。また、髄膜炎・合併症などにより幼くして死に至る事もあり、臓器障害により予後も不明です。

このアナキンラが、希望する患者全てが使える状態になる事はもちろん、新薬の認可、国に難治性疾患に認定して貰い研究が進む事を希望して止みません。そして、この希望を現実のものとすべく、努力を重ねていくつもりです。

B君の場合:

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息子は出生翌日、全身に発疹が出現し、血液検査の結果、炎症反応(CRP)の数値が異常に高くそのままNICUに入院となりました。
始めは中毒疹を疑われ、抗生剤を投与しましたが、数値が下がらず暫く入院となりました。
色々な検査をしましたが原因が判らず、検査をしながら時間が過ぎていきましたが、小児科の先生が症状から疑われる病気を調べてくださり(この稀少な病気を先生が探し出してくださらなかったら病気の診断もつかないままだったかもしれません。)検査の結果、CINCA症候群と判明しました。

そして時間の経過と共に40度近い高熱が頻回になり、関節などいたるところに症状が出てきました。全身の炎症による痛み(関節が痛く、腕や足首を動かせず、靴下を履くのも痛がりました。)と発熱のため食欲も無く体も大きくなりません。
機嫌も悪く泣く子供を前に親としてもどうして良いか分からない状況でした。

その後、小児科の先生に今現在かかっている病院を紹介していただき、アナキンラによる治療が始まりました。すると健康状態は劇的に改善し、今までの状態からは想像出来なかった位に体を動かすようになり、良く笑うようになりました。

現在は膝の拘縮がある為に歩くのは難しいですが、ハイハイをして自分で動くことの楽しさを感じているようです。色々な事に興味を持つようになりました。
父親は「仕事から帰って玄関を空けたら息子がハイハイして笑顔で出迎えてくれるのがすごく嬉しい」と言っています。

Cちゃんの場合:

産まれて6時間後、看護婦さんから「ポツポツがでてきちゃったねぇ」と言われる。
見ると顔に4つ赤い発疹があり1時間後には真っ赤な斑点が娘の体中に広がっていた。
そしてさらに数時間後、足全体が怖いくらい紫色になりむくみもあったことで『膠原病の疑い』と告げられる。

しかし翌日には肌も白くなり食欲も元気もあった。
都内でも歴史ある大きな産院内の小児科、皮膚科の先生方に診ていただき「病気なら薬を投与せず自然にここまで回復することもないからおそらく新生児発疹が非常に強く出たのでしょう」と説明をうけ、一安心したものの退院してから再び毎日痒みのない蕁麻疹と月に2~3回繰り返す3時間ほどの熱が気になり小児科と皮膚科を転々とすることになる。

生後5ヶ月のとき大学病院でMWS(マックルウェルズ症候群)と診断されたときは娘の将来を思い涙が止まらなかった。
1歳の誕生日を迎える頃には膝は腫れあがり、ふくらはぎは棒のように細く立つこともできずにいた。足裏には特徴的な皺や、その頃には熱も連日となり明らかに症状は最重症型のCINCAであることは間違いなかった。

それから2歳までの1年は今思い返しても本当に辛い日々だった。
娘には当時幼稚園に通う兄がいたが、兄の方も集団生活でストレスや不安もあった時期で帰宅後は親に甘えたり公園で遊ばせたりする必要もあったが娘の39~40度に及ぶ熱が出るのは決まって園バスで帰宅する時間と重なるので息子は幼稚園から帰宅してすぐに別の部屋で一言も声をだしてはいけない状況に追い込まれた。

何しろ熱の発作のときには身体に異常が走ったかのようにそれは激しい炎症だった。
高熱を繰り返したことで既に変形が始まっていた膝の裏側は酷い熱のこもり方で手のひらと足先は氷のように冷たいのに、首の後ろは体温とは思えない異常な熱さだった。

まだおしゃべりもできないので言葉に表現できず泣く体力もなくなりかよわい声ですがるように「う~う~」と訴える。
痙攣を起こし、体中真っ赤な発疹が出て娘を抱きかかえながら
「このままではこの子がどうにかなってしまうのでは・・・」
という思いに必死で熱が下がることを祈り身体を冷やした。

私自身が余裕など全くなかった。 そういう状況でまだ幼い息子が「おかあさんとあそびたいんだよぉ」と囁くような声で部屋に入ってくる。
辛さから逃れるために寝るしかなかった娘が息子の気配に泣き始める。 泣くことでこれ以上体力を消耗させたくないから息子に部屋を出て行くよう叱ると息子も背中に抱きついてきて泣き始める。

家族の誰もが辛かった。
もうあの頃には戻りたくはない。

娘は年間を通し、蕁麻疹様発疹とCRPの上昇は変わらずだが、夏になると熱が出ることもなく関節の痛みもとれるので1日中遊んだ。
朝起きて、日中公園で遊び、夕方熱も出さず、夜眠りにつく・・・こんな平凡な毎日がずっと続いて欲しいと願った。
「熱がでる不安を感じない日々」がこんなに幸せなものなのかと感じていた。

しかし、2歳を過ぎ網脈絡膜炎になる。失明の危機を知らされた。 その頃には膝も悪化、椅子に同じ姿勢で座ることもできなくなっていた。
関節の耐え難い痛みで日々、衣類の着脱にどれほど苦労したか知れない。
必死な思いで探し続けた病院、医師、薬の運命の出会いがこのタイミングであったことは 偶然ではないように思う。
生後僅か2年でもう限界にきていた。

現在、痛みから解放された娘が声をあげて楽しそうに笑う笑顔を見るたびに 薬を投与してくださる先生方へ感謝の気持ちでいっぱいになる。
願うのはCAPSの子供たち全員の満開の笑顔・・・
親の強い思いで患者会が必死に活動すれ夢は現実になると信じたい。